ゆとり世代は2016年に50代へ⑥
若い人は知らないかもしれませんが、手塚治虫の作品で「アドルフに告ぐ」という漫画があります。
ストーリーの重要な部分で「アドルフヒトラーにユダヤの血が混じっている」という設定があり、ヒトラーはこの事実を知ったときに、自分が今までユダヤ人に対してやってきた非人道的な行いが全て自分に返ってくるのを恐れて震え上がるシーンがあります。そして、必死になってそれを隠そうとするのです。
私がこのブログで取り上げた問題に対して抱いた疑問を考えるたびに、この「アドルフに告ぐ」が脳裏をよぎるのでした。
若者の一部のバカをピックアップする時に「ゆとり世代」という言葉を使い、それが全体であるかのように喧伝してきた中高年の人は「自分の世代にゆとり教育が始まっていた」とは夢にも思っていなかった。ところが、その事実に気づいた一部の中高年がいて、彼らは問題の核心に触れさせないようにウィキペディアをうまく編集した。
彼は心中で「事実が世間に広まってしまうと、自分が今まで若者に対して ”ゆとり”という言葉を使い、やってきた非人道的な行い!?が全て自分に返ってくる」と恐れたのではないでしょうか?
だから、必死になってそれを隠そうとしている。
まさにこれが「ゆとり世代の定義が途中から明確に変わってしまった」理由である。
そういった事がどうしても浮かんでしまうのです。
まあ冗談はこれくらいにしておきますが、それにしても不思議ですよね。何で最初に書いてあった定義をわざわざ消したり、目立たなくしてしまったのでしょうね。
誤解が無いように言っておきますが、中高年でも「若い」というだけで若者に明確な悪意を持っている人は多数派ではないと私は思います。
しかし、人間の本能として「かつて持っていたが、今は失ってしまった優れたもの」を持っている人に対して嫉妬のような感情を抱くのは誰にでも起こりうる事です。
誰もが昔若かったのです。でも、今はそれがない。
でも、自分より立場の低い人が、それを持っているとしたらどうでしょうか?
この事に対してハッキリと劣等感や嫉妬のような感情が自覚できなかったとしても、偶然「若さを持っている人が中高年よりも劣っているかもしれない情報」が転がりこんできたら、それを信じたいという気持ちが疑いを消してしまうのではないでしょうか?
そして、そういった事が積み重なっていき、最初はとるに足らない些細な事が社会的な歪みとなって表面化してくるわけです。
そういった事が顕著に感じられる例は実はたくさんあって、その中でも比較的わかりやすいのは「若者の犯罪率が増加しているかのような錯覚」です。
次の記事でその事について書いていきます。